経営者としての見識を深めたい

2016年6月6日

守屋淳の、渋沢栄一から経営者への手紙/ 渋沢栄一の生涯(1)

リーダーシップ 渋沢栄一

bp100025

アヘン戦争と満州事変にはさまれて

今回からは、渋沢栄一の生涯を追うことによって、渋沢栄一という偉人がいったいどのようにして出来上がったのか、を見ていきたいと思います。

歴史上の偉人というのは、他人ができないような決断や行動を、節目節目で見せることがあります。織田信長にとっての桶狭間の戦いや、豊臣秀吉にとっての中国大返しなどは、その端的な例でしょう。

当然、同じようなことが渋沢栄一にもありました。そして、そうした決断や行動の源泉は、彼の生育過程に根っこがあったともいえるのです。二つのつながりを探究することは、現代のわれわれの決断や行動の大きな参考になる、と筆者は考えてもいます。

渋沢栄一は、一八四〇年二月一三日に、武蔵国榛沢郡血洗島(埼玉県深谷市血洗島)に長男として生れました。幼名は市三郎。父は市郎右衛門、母は栄。実家は豪農でした。ちなみに彼が亡くなったのは、一九三一年。生まれたのはアヘン戦争がおきた年であり、亡くなったのは満州事変が勃発した年にあたります。それぞれ奇しくも、欧米列強がアジアに手を伸ばした象徴的な事件、そして、日本が大陸に手を伸ばした象徴的事件と重なり合っているのです。

ちなみに、渋沢栄一と生まれの近い偉人はといえば、福沢諭吉と岩崎弥太郎が五歳先輩、高杉晋作が一歳先輩、伊藤博文が一歳後輩という感じになります。

彼は豪農の子でしたが、幼少の頃から、熱心に学問にいそしんでいました。それは、偉人・渋沢栄一の原型をかたちづくるものなので、詳しくご紹介しましょう。

彼は自分の幼少の頃の学問について、次のように述懐しています。

この記事は会員限定です。会員登録をして頂くと続きをお読み頂けます。

関連記事