経営者としての見識を深めたい

2016年7月11日

守屋淳の、渋沢栄一から経営者への手紙/ 渋沢栄一の生涯(2)

リーダーシップ 渋沢栄一

bp1000027_01

世襲体制への不満

大リーグで活躍しているイチローが、日米通算で4257安打という金字塔を打ち立てたさい、記者会見の席で、次のように述べていたのが印象的でした。

「僕は子供の頃から人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はあるので、例えば小学生の頃に毎日野球を練習して、近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』っていつも笑われてた」

「アメリカに行く時も『首位打者になってみたい』。そんな時も笑われた。でも、それも2回達成したりとか、常に人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にはあるので、これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろんあります」

実は、歴史上の偉人には、似たような経験があったりします。飛躍のエネルギー源となる発奮材料やトラウマがあったからこそ、羽ばたけたともいえるのでしょう。

これは渋沢栄一も同じでした。若かりし頃、次のような強烈な体験がありました。

渋沢栄一のいた武蔵岡部藩は、あまり豊かではない藩で、栄一の実家にはよく御用金(大名からの強制的な借金)の命令がありました。ところがあるとき、父が代官所に行けない用事があり、栄一が代理となって、御用をうかがいに出向いたのです。

しかし栄一は、あくまで代理の立場だったので、

「御用金の金額はかしこまりましたが、一応父に聞いてから、再度受けにまいります」

と代官に応えました。すると代官は、栄一の年齢を尋ねると、半分馬鹿にしながら、

「十七にもなっているなら、もう女郎でも買うであろう。してみれば、三百両や五百両は何でもないこと、とくに御用をしっかり果たせば、おいおい覚えもよくなって、世間体もたつもの。父に申し聞くなどと、そんなわからぬことはない。その方の財産で五百両くらいは何でもないはずだ。いったん帰ってまた来るというような、手ぬるいことは承知せぬ。万一、父が不承知だというなら、何とでもこちらで言い訳をするから、すぐに承知したという挨拶をしろ」

と、栄一を叱ったり、馬鹿にしたりしながら、承諾を迫ったのです。栄一は、何とかその場を逃れますが、栄一はこの事件に対して、後々まで

「本当に横っつらをハリたおしてやりたいほど腹が立ったよ」

と家族の前で語るほど悔しい思いを感じていました。このときの胸中を、後に栄一は次のように述懐しています。

この記事は会員限定です。会員登録をして頂くと続きをお読み頂けます。

関連記事