経営者としての見識を深めたい

2017年3月21日

守屋淳の、渋沢栄一から経営者への手紙/ 渋沢栄一の生涯(10)

リーダーシップ 渋沢栄一

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「外見」「動機」「満足」

渋沢栄一は、「人を見抜く」という難事に関して、『論語』の次の言葉を活用していた、と自ら述べています。

孔子が言った。「人を見るのに、現在の行動を観察するばかりでなく、その動機は何か、また何に満足しているかまで突っ込んで観察する。そうすれば、どんな相手でも本性を隠しきれなくなる」(子曰く、「その以す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば、人いずくんぞかく(〓まだれに叟)さんや、人いずくんぞかく(〓まだれに叟)さんや」)『論語』為政篇

この一節について、『論語講義』という本で次のような解説を述べています。

《そもそも人物を観察するには、まず第一に、その人の外面にあらわれた行動の善悪や正邪を見る。第二に、その人のある行為は、何を動機にしているかをとくと見極める。第三に、さらに一歩進めて、その人の安心はどこにあるのか、どの辺りに満足して暮らしているのかを察知すれば、必ずその人の嘘偽りのない性質が明らかになる。いかにその人が隠しても、隠せるものではない。

この点で、外面にあらわれた行為が正しく見えても、その行為の動機である意思が正しくなければ、その人は決して正しい人物とはいえない。場合によっては悪事にあえて走ってしまうこともないとはいえない。

また、外面にあらわれた行為が正しく、その動機となる精神もまた正しいからといって、もし安心や満足の対象がごちそうを食べたり、衣服に凝ったり、豪邸住まいだったりするのでは、その人は何らかの誘惑によって、思わぬ悪に手を染めることもあったりする。だから安心や満足の対象が正しい人でないと、頭から足の先まで正しい人であるとは保証できないのだ。

この三段階の観察法を使っていけば、人がいかに外見をごまかしても、どうしてその善悪の性質まで隠せるだろう。善人は善人、悪人は悪人だとはっきりわかり、あたかも地獄の閻魔様が生前のその人の善悪を映し出すために使う「浄玻璃の鏡」にかけたようになるだろう。本章の最後の言葉を二度繰り返しているのは、決してその識別に誤りがないことをはっきり断言しているのだ》『論語講義』引用者訳

一般に、これら「外見」「動機」「満足」のうち、「動機」と「満足」に関しては、酒の席などで、ほどよく酔いが回ってきた頃合いなどに、相手に直接聞いてみるのが案外いい方法だともいわれています。

さらに、三つめの「満足の対象」に関して、面白い例があるのでご紹介したいと思います。さる投資家の人は、投資を考えている企業の社長にあった際、

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