守屋淳の、渋沢栄一から経営者への手紙/ 渋沢栄一の生涯(12)
経営者としての見識を深めたい 2017年5月15日
悪い競争は、国も壊す
渋沢栄一の講演録である『論語と算盤』は、今からちょうど90年前の昭和2年に刊行されました。現代のわれわれが読んでもほとんど古さを感じさせない内容が書かれていますが、なかでも、まさしく近年のビジネスの問題をえぐるような指摘があります。
《そもそも何かを一所懸命やるためには、競うことが必要になってくる。競うからこそ励みも生まれてくる。いわゆる『競争』とは、勉強や進歩の母なのである。しかしこれは事実である一方、『競争』には善意と悪意の二種類があるように思われる。踏みこんで述べてしまえば、毎日人よりも朝早く起きて、よい工夫をして、知恵と勉強とで他人に打ち克っていくというのは、まさしく善い競争なのだ。しかし一方で、他人のやったことが評判がよいから、これを真似してかすめ取ってやろうと考え、横合いから成果を奪い取ろうとするのは悪い競争に他ならない。
ただし、簡単に善悪二つに分けられるにせよ、そもそも事業にはさまざまあって、競争の種類もいくつもある。そのなかで性質が善でない競争に携わった場合、状況によっては利益が転がり込んでくることもあるだろう。しかし多くの場合は他人を妨害することで、やがて自分の損失にもつながってしまう。さらに自分や他人という関係ばかりでなく、その弊害が国家に及んでしまうこともある。『日本の商人は困ったものだ』と外国人にまで軽蔑されるようになれば、その弊害はとても大きいと言わざるを得ない」》『論語と算盤』引用者訳
ここで渋沢栄一は、競争を二つに分けています。
- 善い競争――自分の努力で付加価値をつけて、成果を上げていくもの
- 悪い競争――人の真似をして、成果を上げていくもの
彼は、競争自体は「勉強や進歩の母」として、推奨していますが、悪い競争になってしまうと、結局、誰も得をしなくなってしまうと説くわけです。
なるほどもっともだ、と思われるかもしれませんが、ここに大きな考えどころがあります。
なぜなら現代では、「悪い競争」が当たり前。というか、渋沢栄一のいう「悪い競争」を「悪い競争」とも思わずに、みな使っていたりするわけです。
たとえば、大企業同士の競争では、一社が斬新な新商品を出して売れれば――特許などに守られていなければ、ですが――他社もこぞって真似をして、似たような商品だらけになるのがごく普通の姿。
たとえば、手前味噌な話ですが、出版業界でも、一冊ヒット本が出ると、似たような本が雨後の筍のように出てきて、どれがオリジナルだかわからなくなってしまったりします。
もちろん、こういう競争も、市場のにぎわいのうちだと捉えることもできるでしょう。